男性性

7ヶ月間の育休で学んだ7つのこと

今年も4分の1が経ちました。昨日が7ヶ月に渡る私の育児休暇の最終日となり、今日から本来の仕事に復帰します。 2020年8月末からあっという間に7ヶ月が経ちました。そしてこの7ヶ月間で経験したこと、考えたこと、学んだこと、これらをまとめてみました。 1. 育休は休暇ではない 育児をされている方はご理解いただけると思いますが、はっきり言って子育ては休暇ではありません。夜中にも何度も起こされるし、赤ん坊が寝ている時以外は休息できないことが分かりました。事実、夫婦、二人だけの時はよく寝ることができていました。 正直、休暇どころか戦場に投げ出された感がありました。子育ては想像するよりもはるかに大変な作業で休暇を取ってまでもやらなければならない、そして女性一人ではとてもできないものだと分かったからです。 男性の育休取得が進まない背景として、「社会や職場の雰囲気や仕事上の責任と言った理由から、男性職員が自分から育休を申請しない、または申請できない状況にある」と政治家達も指摘しています。本来、子育てという人生の中での大変貴重な期間なのに、「休暇」という文字があることで休んでいるような印象を与えています。 私の育休中は妻の方が私よりも子と接する時間が多くなっているのも事実です。「やはり母乳を必要とする赤ん坊は生きるためには母親が父親よりも必要」と自分なりに解釈しながら、私は率先して家事に専念することに集中しました。 2. 母親の強さを知った 今まで私の妻、パートナーとしてしか知らなかった人が母親として変化していく姿は強い感動を覚えるものです。全てのプライオリティーは生まれたばかりの命を守り、大切に育てていくこと。それをしっかり理解をして常に自分のやりたいことを犠牲にしてまで子供のニーズを満たす母親としてのパートナーを見て「自分の中にはまだ自己中心的な考えがある」と気がついたのです。 私も親となり、自分の中でのプライオリティーが大きく変わりました。自分を必要とする小さな命を授かったことで自分の人生に対する考え方が変わったからです。 3. 子供の成長はあっという間 「子供はあっという間に育っちゃうよ」と先輩ママパパから言われてきましたが、本当です。ついこの間、生まれてきて四六時中寝ていた赤ちゃんが今となっては離乳食を自分の手で食べるようになりました。 初めて笑った瞬間や、初めて寝返りを打ったことなど一緒にいなければ見逃していた出来事も親として体験することができました。 4. 自分がいなくても仕事は回る 「7ヶ月も仕事から外れて大丈夫かな」と育休を取って間もない頃は思っていましたが、素晴らしいチームに恵まれていたこともあり、その心配は無用でした。早めに会社にも育休の申請をしていたので、仕事の引継ぎもスムーズに終えました。会社という組織は一人がいなくても仕事が回るように構成されています。逆にそうでなければ組織として成り立たないからです。 小さな会社では一人のウェイトが大きく長期の離脱は大変な痛手となり取得自体も難しいことも理解しています。そういった意味でも自分は恵まれている環境にあり、育休を取ること、取っている間も暖かくサポートしてくれた会社、そして仲間たちの存在に本当に感謝をしています。 5. 夫婦の絆が深まる 我々は夫婦で育休を一緒に取りました。普段仕事している時は一緒に時間を過ごすことは限られていましたが、この7ヶ月間は毎日一緒にいました。お互い気になるところを指摘したり、チームワークを深めるにはどうしたらいいのかなどコミュニケーションを深める機会が自然と増えました。親として、そしてライフパートナーとしての絆が深まりました。 6. 自分がしたいことのする時間があまりない 育休中は色々なことに取り組もうと思っていました。例えば、エクセルをもっと得意になろうとかいつも以上に読書をしたり、マラソントレーニングをしたり、自転車に乗ったり、好きなゴルフをして昔の感覚を取り戻そう、とか軽い気持ちで子供の出産を迎えましたが、正直、自分のしたいことはほとんどできませんでした。ただ、それだけやるべきことが多く家族でいる時間が貴重なことだと分かったことは一生の宝物になると信じています。家族で過ごすということは家族で共同作業をすることなのだ、と理解したからです。 7. 全ての親にオススメ もし育休を取る機会があるのであれば、是非取ることを強くお勧めします。特に日本は世界一とも言える育休制度が整っています。父母共に12ヶ月間まで国から給付金をもらって子育てに専念することが可能です。(詳しくはこちらのブログをご覧ください)2020年の日本で働く男性の育休取得率は7%でした。国は2030年までに男性の育休取得率を30%まで引き上げる目標を立てています。男性が育休を取ることが当たり前の社会になれば、「幸せな社会の実現」に大きく前進すると私は信じます。

日本人男性の体験談:フェミニズムは女性を解放し、男性を自由にし、人類を高める

(blossom the mediaのゲストポストから引用) まずはじめに、いくつかのことを言わせていただきたい。 私はマスキュリニティ、いわゆる男性性の博士号を持っていない。ジェンダー論の学位も持っていない。 私にあるのは、ある物語。 私は自分の名字を妻の姓に変えた。 2017年に妻と私が結婚したとき、私たちは姓を組み合わせることにした。 彼女の出身地である米国では、名前の変更プロセスは簡単だった。 しかし、それは日本では決して単純なことではなかった。 日本では、夫婦が姓を組み合わせたり、名前を変えたりすることは許可されていない。そこで、私は家庭裁判所に 行き、私の要求の承認を求めた。 裁判官は、妻の新しい姓である松尾ポストを採用することを提案した。米国ではすでにこの名前に変更されていたためである。 それで本質的に、私は妻の姓になった。 それが私の人生を変えた。 私自身の名字を変えるまで、日本では夫婦別姓が認められていないことを知らなかった。このように妻の姓を名乗ることを許されたのは、彼女が外国人だからという理由のためだと、日本人同士の夫婦にはその選択肢がないことを知らなかった。日本人女性の94%が結婚後、夫の名字に変えている事実を知らなかった。 母国の不平等について考えることによって、世界中で起きている問題に目を向けるようになった。 同じ仕事をしているのに、なぜ男性は女性よりも多くの給料をもらっているのだろう? なぜ専業主夫よりも、専業主婦の方が圧倒的に多いのだろう? ジェンダーの平等を達成すれば、男性にとってどのような利点があるだろう? 男性として生まれてきた私にとって、このようなことについて考える必要は今までなかった。 固定概念に縛られた環境の中で育った私だが、名字を変えたことで、このような役割の現状や危険さについて考えざるを得なくなった。 まだやることはたくさんあると気づいた。 私の周りの女性のほとんどが結婚後、夫の名字を名乗った。その理由を知らずに、ただそうするべきなのだと私は思っていた。ジェンダーの固定概念を変えられない事実、私たちの住んでいる世界の現状だと思い込み、受け入れていた。 S&P500の全従業員の45%が女性だが、女性は上級管理職の約27%しか占めておらず、高額所得者の11%に過ぎない。男性がもっとお金を稼ぐのは当たり前だと思っていた。 私はいろんなことを問い始めた。 なぜ男子は学校の成績で伸び悩むのか? なぜ刑務所は男性で溢れかえっているのか? なぜ自殺が50歳以下の男性の死因第一位なのか? それは、男性が男らしさはこうあるべきだと教え込まれてきたからである。男は強くあれ、感情を表に出すな、我慢しろ、何が何でも勝者になれ、アグレッシブでいろ、金持ちになれ、そしてセックスを楽しめ。 名字を変えたことによって、女性の生きる世界を垣間見ることができた。私たちの文化が、手間のかかる名義変更手続きは女性がしてくれるだろうと期待していることを知り、やっと家父長制の社会で生きる意味を知った。それと同時に、男性優位であるはずの仕組みが、男性を籠の中に閉じ込めていることにも気づいた。 そう。家父長制は、男性も傷つけているのだ。 社会の言う「当たり前」の通りにする必要がないと気づいたとき、私は閉じ込められていた籠から脱出することができた。ジェンダーの平等を追求するなかで、自分の信じる道を生きる勇気を手に入れた。 私がどのようにして自分の信じる道を進んでいるのか。 妻が妊娠した時、私は育児休業を取ることを決意した。上司に相談を持ちかける際、とてつもなく緊張した。長期の休みを取りたかったからだ。どのくらいかというと、7ヶ月間だ。 幸いなことに、理解のある上司だったため、私の希望はすぐに承認された。実際のところ、日本は父親・母親共に、最大一年間の有給の育児休業が認められている。 驚くことに、日本生産性本部の調査によると、男性の新入社員の約8割が育児休業を取りたいと望んでいるが、2020年に実際に育児休業を取った父親は、たった7パーセントだった。それだけでなく、育児休業を取った7パーセントの男性のうち、75パーセントが二週間かそれ以下しか仕事を休んでいない。 2020年、日本の環境大臣、および元内閣総理大臣小泉純一郎の息子である小泉進次郎が、仕事中毒の父親たちに率先垂範して、二週間の育児休業を取ったことで話題になった。父親が子供の誕生のあとに仕事を休むことが珍しいこの国では、大きな出来事であった。 寛大な育児休業制度があるにも関わらず、日本の男性のほとんどが雇用主に要求を却下されることや将来の昇進のチャンスが減ることを恐れて、育児休業を申請すらしない。これらの先入観について知ってはいたが、それでも同じように思わずにはいられなかった。実際に自分が申請するまで、育児休業を取ることがどれほど簡単か知らなかった。 今、この記事を書いている時点で、7ヶ月間の育児休業を半分以上過ぎている。生まれたばかりの息子を毎日見られるのがどれほど嬉しいことか、言葉で言い表せない。私にとって、妻と子と過ごすこの貴重な時間は、どんなお金にも代えられない。 より多くの男性が育児休業を取れば、女性が仕事場で活躍する機会がもっと増えると信じている。女性リーダーがもっと増えれば、組織全体がより多様で包括的になる。 もっとたくさんの国が母親・父親のどちらも有給の育児休業を取れるような制度を整えるべきである。さらに重要なのは、男性が実際に長期的な育児休業を取るような文化を育むことである。それが普及しなければ、実現は難しいだろう。 私は、自分の持っている特権を利用して、世界のジェンダー不平等にまだ気づいていないかもしれない男性達に呼びかけることにしている。メリンダ・ゲイツの言うように、「女性の地位が向上すれば、人類全体が向上する。」そのためには、男性も女性と同じくらいジェンダーの平等を推進し、家父長制を取り壊すことに努めなければならない。 Translated by Yuko C. Shimomoto 

「男だろ!」にざわついた心

2021年も2月に入りましたが、正月の話です。 今年は久しぶりに実家で年始を迎えることができました。私は小さい頃から自宅の近くを走る箱根駅伝を家族と一緒に見てきたのですが今年は感染症の影響もあり、久しぶりに家で餅を食べながらテレビで箱根駅伝を見ました。 今年はまれに見るドラマティックな展開があり最終10区、ゴール手前2kmでの劇的な逆転で駒沢大学が総合優勝を遂げました。 逆転が現実味を帯びそうな状況になってきた時、選手の後ろを走っている監督車から聞こえてくる声に違和感を感じました。 「男だろ!行け!」この大八木弘明監督が選手にかけた「男だろ」発言はSNSでは賛成の声も多く聞こえました。 「男らしさ」とは 「選手が監督の檄で奮起したのだから良い声掛けだ」「選手と監督という本人同士が良ければそれでいい。外野がとやかく言う問題ではない。」 スポーツは勝つことに繋がれば、どのような方法でもこのような檄を入れてもいいのでしょうか? もしくはこのような発言は、公でなければ、内輪だけのものであれば良いことなのでしょか?  私は「男らしさ」という言葉を「立派で優れた人間」という意味で使っていることにジェンダーに対する偏見を感じるのです。 なぜ問題かというと、もちろん「立派で優れた人間」は男性だけがなるものではありません。女性も「立派で優れた人間」は数多くいるからです。「理想的な人物像」というものは誰もが望むものですが「男」という言葉と紐づけて理想の人物像を表すことは、ジェンダーに対する誤った固定概念からくるものでとても違和感を感じます。 もし、それに違和感を感じない方は、次の場面を想像してみてください。 例えば、全日本大学女子駅伝大会で、同じ様な場面があったとして監督から、「お前女だろ。行け!」という言葉が出てくるでしょうか? おそらくありえないですね。反対に抜かれた選手は「女々しい」のでしょうか?そんなことはありません。 女性が素晴らしい能力を発揮した時に「男勝りの動き・行動」と表現されます。この表現も何か変ですよね。それはスポーツでも、一般社会でも、「女だろ」と言って励ましたりしないからです。「男だからやれるだろう」という考えは男性優位主義を感じさせられます。 今週、朝日新聞のオピニオンの1面でこの発言について取り上げられていたのですが、ジェンダーに対する固定概念に違和感を持つ人が増えているな、と気付きました。しかし、違和感を持つ人が少なく無いのに、あの発言が称えられるのはなぜでしょう。 スポーツは別という異質な考え方 「男だろ」が称えられる理由の一つとして、競技という戦いの場においては「戦いは男に任せろ、力のない女は戦いの邪魔だ」と男性優位の社会が歴史的に戦いの中から構築されてきた経緯があり、それをスポーツに当てはめているところがあるからです。 だから、競い合っている場面で「男だろ・男を見せろ」が潜在的に持っている意識として自然に言葉となって表に出てくるのです。 スポーツは、もともと男の行為、すべきもの、というイメージが圧倒的に強い社会では、競技に勝つことが「男をあげる」「男の中の男」ということではないでしょうか。スポーツでは許されるという例外的な考え方を「異質なもの」と感じなければ、人格を無視するような暴力や暴言を用いることを容認し、一般社会ではパワハラとみなされる発言や行為が今でも特にスポーツの世界では継続して発生しているのです。 「スポーツなのだから、そこまで目くじらを立てることはない」という人もいるかもしれません。私はその意見には強く反対します。スポーツは単なる競技ではなく時として社会や政治、経済そして日々の暮らしへと影響を与えているからです。 スポーツから学ぶジェンダー 駅伝もそうですが、日本で男性に人気あるスポーツは野球やサッカーですがチームプレイなので全員の意思の統一と連携が求められるものです。 個人個人がチームを支え合い、それが輪となりさらに和となって勝利を目指し競いあることが大切でそこには「男らしさ」も「女らしさ」も必要がないのではないでしょうか。 ジェンダーに関する固定概念は残念ながらまだ日本では一つの文化になっています。 まずスポーツからでも「男らしさ」や「女らしさ」という概念から解き放つことで社会が変わっていく必要があります。それは、我々の毎日の生活のちょっとしたことから変えていくべきものです。 スポーツを通じて、これから競技を始める子供達にどの様なメッセージを発するか、指導者は意識する必要があります。それ以上に、この様な話題を家族や学校で話し合っていくことが大切だと思います。